思考の耐力
私はよく物事を考えている方だと思う。
本当にそうだろうか?
頭の中で色々な事に考えを巡らせているが、それは本当に"考える"ということだろうか?
今まで頭の中で考えたことは、ただ言葉を頭の中で連想しただけにすぎないのではないだろうか。。。
というのも、考えているだけであって、"答え"を出すまで考えられていただろうか?
考えるということは、何かしらの情報から別の次元の情報に変換することだと思う。
しかし、私はこのプロセスを中途半端な状態で終わっていた気がする。
そう、私は思考の耐力がなく、途中で思考停止になってしまっていた。。。
これからは最後まで"答え"が出せるまで考え抜く癖をつけるようにしよう。
そして、考えたことをこのブログにどんどん載せていこうと思う。
思い込みが激しい性格
先輩や上司によく思い込みが激しいとよく言われる。。。
なぜ思い込みが激しいと他人から思われるのか??
ちょっと考えてみた!!
思い込みが激しいと他人からよく言われる。
↓なぜなら
自分勝手な解釈を入れる
↓なぜなら
自分の知っている範囲内でしか考えていない
↓なぜなら
自分の知っている範囲で答えがあると思っている
少し考えてみたが、自分はすべてのものには、『答え』、別の言い方で言えば、
『正解』があるという思考に捉われていると気づいた。
ビジネスの世界には、『正しいと思われる答え』は存在するかもしれない。
ただし、『正しい答え』は存在しない。
これまでの自分は、自分の中にある『答え』が正しいのか、間違っているのか
という二者択一でしか考えていなかった。
したがって、本当の意味で目の前にある『課題』について、思考停止状態に陥っていた。
本当に『課題』に対して思考するのであれば、
『課題の原因はなんなのか?』という問いから始まり、
自分なりの仮説を立て、その仮説が正しいのか、正しくないのかという
仮説・検証を繰り返さなければ、本当の思考とは言えない。
『課題』に対する『解』を導き出すのは、
骨の折れる行為であると思うが、これらの一連の作業を繰り返す事で、
本物の思考力が身についていくのだと思う。
すぐに仮説・検証ができるとは思わないが、できる所から少しづつ取り組んでいきたい!!
返したくなるメールとは?
仕事柄メールをすることが多い。
朝PCを立ち上げるとメールが入っている事がある。
その中で返信すべきメールと閲覧のみで終わるメールがある。
返信すべきメールの内、すぐに返信したくなるメールがある。
そこで返したくなるメールにある特徴はなんだろうか?
ちょっと考えてみた。
①件名で内容がすぐに理解できる
②要点がまとまっている
③返信期限が書かれている
④読みやすい日本語で書かれている
仕事上、こちらから相手に依頼する事が多いのだが、
上記の4点に気を付けてメールを送るようにしようと思う。
ロジカルシンキング~列挙と深耕~
今月ロジカルシンキングのセミナーに参加した。
そのセミナ-で、ロジカルシンキングには2タイプあるらしい。
その2タイプとは、
・列挙・・・課題に対する原因を洗い出す
・深耕・・・課題に対する原因の真因を導き出す
である。
これら2種類に対し、個人ごとで向き不向きがあるらしい。
列挙が苦手な人は、「視野が狭い」と他人から言われる事が多く、
深耕が苦手な人は、「考えが浅い」と言われるようだ。
私は、おそらく後者に当てはまるだろう。。。
物事を考える事は、あっても考えている事がどんどんもともと考えていたことから
それていってしまい、最終的な結論が出せずに終わる事が多い・・・
どうして深耕ができないのかをこれを機会に深耕してみようと思う!!
【課題】
なぜロジカルシンキングの深耕が苦手なのか?
A:一つの事を考える集中力がない
↓なぜなら
A:頭の中だけで考えているから
↓なぜなら
A:紙などに書く事が面倒だから
↓なぜなら
A:書く事が苦手だから
↓なぜなら
A:思考がうまく言葉に落とせないから
なぜを5回を繰り返してみたが、なぜ深耕が苦手なのかが導きだせた!!
今まで頭の中で考えているだけで、アウトプットをしてこなかったため、
思考を文字へと落とし込む能力が乏しかったのだ・・・
これからも時間を見つけて上記のようになぜなぜを5回繰り返し、
思考がまとまらなくてもとりあえず文字へ書きだしてみる事を
続きいこうと思う。
補給線~何が勝敗を決定するのか~
『補給線~何が勝敗を決定するのか~』を読んだ。
ヨーロッパにおける戦争史を『兵站』の観点から分析した名著である。
16世紀の戦争~第二次世界大戦までの戦争史であるが、
後半になるほど、イメージがわきやすく面白く読めた。
ただし、いかんせん世界史の知識、軍事学の知識が不足しているため、
書いてある内容をかみ砕いて理解する事は出来なかったのが悔やまれる。。。
感想としては、こんな所にはこの本を読んで考えた事をまとめてみたいと思う。
どの時代の戦争においても『兵站』の壁となったのは、
補給される側と補給する側との優先度の問題があげられる。
前線への補給線は、限られており戦闘部隊と補給部隊のどちらが
先に道を通るべきなのか・・・?
結果的には、戦闘部隊が優先されるが、そのために前線では補給不足となってしまう。
この事実を知って、自分の仕事(IT関係)に結びつけて考えてみると・・・
ITの世界では、よく『冗長化』という言葉が使われることがあり、
もしものためにネットワークの冗長化、電源の冗長化、サーバーの冗長化が行われている。
※『冗長化』・・・最低限必要な量より多めに設備を用意しておき、一部の設備が故障してもサービスを継続して提供できるようにシステムを構築すること。
戦争時において、補給線の『冗長化』は行われないのだろうか??という疑問がわいた。
やはり補給線を増やすまでのコストをかけるのは、メリットが得られないのだろうか??
陸上における補給線の場合、物理的な制限を受ける事も考えられる。
そのため20世紀の戦争からは、飛行機が登場し、空からの輸送が行われるようになった。
これにより、戦争の舞台は、陸上、海上に続いて空も加わることになり、補給線を維持するためには、制空権の争いが発生した。
したがって、万全な補給線を気づくためには、制空権の確保ではなく、さらにその上の制宙権の確保が必要となるのであろう。
しかし、制宙権となると、宇宙条約が関わってくる。
まぁ正直大国同士の戦争となった場合には、条約は無視されるのでだろう・・・
以上から、戦争における戦闘のみならず「兵站」という観点からも、今後航空・宇宙技術への投資が必要であると考えられる。
この本を軸に他の分野の本を読み、考えを深めていこうと思う。
またいつかは、「兵站」の必要としない軍隊とは?というテーマを考えてみたいと思う。
インプットとアウトプット
今日は、インプットとアウトプットについて考えてみようと思う。
インプットとアウトプットを簡単に図示すると下記のようになる。
個人は、外部からの情報を五感を使い、自分の中へ取り込んでいく。
そして、自分を媒介にして外部へ排出していく。
この構図は、他のところでもよく見かける構図である。
それは、特に一般企業の活動である。それを図示したのが、下記の図である。
企業の場合、インプットは、経営資源である「人、モノ、カネ」が当てはまるだろう。
これらの資源を元に、企業は営業活動を通じて、ユーザーに対して、製品あるいは、サービスをアウトプットとして提供している。
そして、企業の場合、その存在目的は、利益の追求である。したがって、企業がアウトプットした製品、サービス
に対する対価は、必ずアウトプットより大きくなくてはならない。
そして、企業はその対価として得た資金をまた資源である「人、モノ、カネ」に投資するのである。
これらの一連の流れをまとめると下記の図の通りである。
企業の場合、その目的が「利益の追求」である為、このサイクルを回し続けることが、企業としての使命といっていいだろう。
だが、はじめに戻って一個人の場合は、どうなのだろうか?
個人の目的が、何かを得ることであるとするのであれば、
インプットよりもアウトプットの総量を増やし、アウトプットの対価として『モノ』(例えば、賃金、地位、名声など)を手に入れるだろう。これにおいて、インプット<アウトプットにするためには、それぞれの表現力そして思考力が重要な要素といえるはずだ。
そして、アウトプットの対価として得た『モノ』からさらにインプットへ振り向けるには、計画力、実行力が求められる。
だが、そもそも個人として得たい『モノ』がない(欲求がない)場合は、人はどうするのだろうか??
これに関して、今『暇と退屈の倫理学』という本を読んでいるのだが、この本が今自分が考えていることの
ヒントを与えれてくれることを願う。
読了後に、もう一度この疑問に対する自分の結論を出してみるつもりだ。