ハーモニー
久しぶりの投稿。
今日は、最近読んだ本の感想をつらつら書いていこうと思う。
最近読んだ本は、「ハーモニー」(著:伊藤 計劃)
伊藤 計劃氏は、『虐殺器官』でデビューし、第1回PLAYBOYミステリー大賞【国内部門】第1位を受賞。
そんな彼の最期の作品となったのだが、『ハーモニー』だ。
率直な感想をいうと、虐殺器官の方が自分は好きだ。
虐殺器官の方が、主人公が男性である点、てテーマが戦争とは?とどちらかというとハードボイルド的な要素が強いからだ。
本作では、3人の女性がキーパーソンとして登場する。そして、本作が扱っているテーマは、人とは?生きるとは?という哲学的な要素が強い。どちらの作品も、SF要素としては、申し分ないと思うが・・・
本作がなぜそんな哲学的な要素が強いのかというと、本作は、伊藤氏が闘病中に書かれた作品であるからだ。
このハーモニーの次回作の完成を前に、伊藤氏は、病に倒れられた。ハーモニーの後の世界があるのであれば、ぜひ読んでみたいがそれはもう叶わなくなってしまった。非常に残念である。
自分は、日ごろSF小説を読む方ではないが、彼の作品を通じてSF小説の面白さを感じる事ができた。
これからも、SF小説にも興味を持っていこうと思う。
心のなかの幸福のバケツ
■心のなかの幸福のバケツ
正直いうと、普通の自己啓発本。
この本を買うメリットとしては、ストレングスファインダーが出来ることかなと…
まぁ内容に関していうと、人の心はバケツとひしゃくで成り立っているという。
バケツが満杯=満たされていて心がきれいな状態
バケツが空っぽ=心が満たされておらず、すさんだ状態
なので、筆者は、まずバケツをいっぱいにするように説く。
そして、ひしゃくで自分のバケツから他人のバケツに水を注いであげようという。
確かにとても分かりやすい例えく使っており、その捉え方は納得できる。
しかし、具体的な方法論が、他の自己啓発本よりも少ないかなという印象である。
自己啓発に具体性を求めるのが、間違っているのかもしれないが
書評を述べるとするならば、以上のようになる。
■学んだこと
魔法の比率
ポジティブ:ネガティブ=5:1
時間
□時間とは?
過去のtweet
2010年09月09日(木)
人に与えられた「時間」って、それぞれにとっての「死間」(死までのあいだ)なんだよな。
以前に、この様なことを考えたことがあった。
この考え方からすると、『時間』は、必ずしも平等ではない。
よく『時間』は、誰にとっても平等だという話はよく聞く。
しかし、各々の死までの時間が決まっていると仮定するなら、上記の言葉はまったくもって意味をなさない。
なぜなら、残り人生が1日の人と1年の人では、一般的に用いられている基準に則れば、365倍の違いがあり、
その密度も全然異なるであろう。
『時間の密度』
これを測る術は、ないが時間に対する考え方は、この『時間の密度』を意識して
いかなければならないのではないかと思う。
火のつけ方
火をつけるのは、何が必要だろうか。
①付け火
②空気
③燃料
この三つが必要だ。
では
人間の火をつける=やる気にされるいは、何が必要だろうか?
①付け火 これは、やる気にさせる場合、すでにやる気に満ち溢れている人やその人の興味関心
②空気 これは、火の燃やすには、必要不可欠な物だ。人間でいうならば「心」であろう。
③燃料 これは、人間にたとえるならば何になるだろうか?
ある人は、給料などの金銭面。ある人は、仕事であられる充実感と人によって異なるだろう。
経営組織論をこの「火の付け方・燃え方」を用いて、たとえることは出来ないだろうか・・・
長所と強み
■長所と強み
以前twitterで以下の書き込みをした。
>欠点・短所・弱点。これらは同じ意味な様で、イメージするものが全然違う気がする。
欠点:大きな円の中に穴があるイメージ
短所:棒グラフの中で短いグラフのイメージ
弱点:沢山の円があるならで、小さい円のイメージ
欠点は絶対的。短所・弱点は相対的。
今回は、この逆のことについて考えてみようと思う。
人の優れていることを表す言葉に、長所と強みがある。
□長所
長所は、棒グラフのイメージである。自分の中にある様々な要素を全部棒グラフにした場合に
他よりも長いものが自分の長所と言える。したがって、長所は相対的というより絶対的な概念なのだろう。
□強み
強みは、イメージがしづらい。しかし、長所が絶対的であったのに対して、強みは相対的であると思う。
しかも、強みには、その強さという度合いを測る軸が、強さという言葉の中には、存在していない気がする。
したがって、強さを考える場合、その考える主体がその軸を決定しなくてはならない。
という事は、絶対的な強さというものは、この世には存在しないのかもしれない。
夜と霧
■書評
夜と霧
この本は、心理学者が強制収容所での実体験から、人間の精神がどのように変化していくのかを述べた本である。
①収容所に入った直後、②収容所内での生活、③収容所から脱出後の大きく三段階に分かれている。
①、②では、まともであった人間が収容所という劣悪な環境でどのように精神が壊れていくのかを
学者らしく淡々と書きとめられている。
まずこの点に、正直驚いた。この本を購入前は、もっとグロテスクな絵を描くものを想像していたが
この本では、確かに悲惨な表現なある。しかし、心理学の研究として、著者は書きとめており、
その客観的な分析を収容所という極限状態で行っていたというその精神力は、すさまじいと言えるだろう。
③では、著者が収容所から脱出後に、さらに冷静な人間の精神についての分析が行われている。
■この本で学んだこと
人間は、誰かに必要とされていないといけない。誰かが待っていると信じるだけでも、過酷な環境にも耐えられる。
『なぜ生きるのかを知っている者は、どのように生きることにも耐える』 byニーチェ
人間には、二つの『種族』がある。まともな人間とまともではない人間。
この二つのどちらがだれで構成される『純血』な組織は存在しない。
筆者コメント
もう一度時期を改めて再読してみたいと思う。
検索と料理
今日は検索と料理の関係性について書いてみようと思う。
インターネットの登場によって、人々の知識はインターネットで検索をすれば
ほぼ誰もがその知識を手にする事が出来るようになったと言える。
すなわち、インターネットによって、個々人の知識量はあまり重要ではなくなったといえるだろう。
では、これからは知識とはどのように活用していくべきなのであろうか?
これに関して、私は、料理をたとえにして論じてみようと思う。
料理をする際には、まずその食材を選ぶところから始まる。
これはインターネットにおける検索で情報を入手することと同義であると言えるだろう。
次に食材を手に入れた後、調理を開始するのだが、この調理方法は誰に教わらない限り
誰にでも出来る事ではないだろう。
したがって、情報を入手することが誰でも可能になったが、その情報をどのように
『意味のある』情報に調理する(翻訳or活用する)かは、誰かに教わる必要がある。
しかし、この情報の調理法に先生はいないだろう。
情報は形のないものであるからして、いくら調理が失敗してもなんら損害はないからである。
だが一方で、その失敗を見つけにくいとも言える。
まぁこれには、トライアンドエラーを繰り返すしかないのだろうか…
筆者のコメント
中途半端な文章になってしまった…また日を改めてこのテーマについて考えてみたいと思う。